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最高裁判所第三小法廷 昭和27年(オ)1219号 判決 1954年12月21日

上告人 益田ヨシ(仮名)

右訴訟代理人弁護士 岡本繁四郎

大島清七

被上告人 池田吾一(仮名)

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人岡本繁四郎、同大島清七の上告理由は後記のとおりである。

同第一点について。

家庭裁判所が、相続放棄の申述を受理することは審判事項であるから、その申述が本人の真意に基ずくことを認めた上これを受理すべきであり、そのため必要な手続はこれを行うことを原則とするが、申述書自体により右の趣旨を認め得るかぎり必ずしも常に本人の審問等を行うことを要するものではない。そして家事審判規則一一四条二項が、申述書には本人又は代理人がこれに署名押印しなければならないと定めたのは、本人の真意に基ずくことを明らかにするためにほかならないから、原則としてその自署を要する趣旨であるが、特段の事情があるときは、本人又は代理人の記名押印があるにすぎない場合でも家庭裁判所は、他の調査によつて本人の真意に基ずくことが認められる以上その申述を受理することを妨げるものではない。本件についてみるに、原判決及びその引用する第一審判決の判示するところによれば、十分な証拠調を行つた上、上告人が真実に相続を放棄した事実を認定しその請求を排斥したことが明らかであり、またその判断に誤りは認められない。従つて仮りに本件の家庭裁判所が所論一の(一)(二)に述べるような手続によつて本件申述を受理したとすれば、慎重を欠いたそしりを免れないが、それだけで本件相続放棄の申述を無効ということはできない。その他の論旨は、原審の証拠の取捨判断又は事実認定を非難するに過ぎない。

同第二点について。

所論は、憲法一四条一項違反をいうが、その実質は原審の事実の誤認ないし法令違反を主張するに過ぎず、第一点について説明したとおりであるから採用できない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 井上登 裁判官 島保 河村又介 小林俊三 本村善太郎)

○昭和二七年(オ)第一二一九号

〔上告人〕 益田ヨシ

〔被上告人〕 池田吾一

上告代理人弁護士岡本繁四郎、同大島清七の上告理由

第一点

原判決は左の如き大きな瑕疵が存在するを以て破毀は免れない、すなわち原判決は憲法、法律、条理、良識の上から到底容認できない誤つた判決である。よつてここに敢て上告審の判断を仰ぐ次第である。

一、原判決は上告人が印章を訴外池田タツ(上告人、被上告人の実母)に渡したという一事をとらいてこれを唯一の根拠として上告人は相続を放棄したものであると認定した。

(一) しかし原審の右認定は大きな誤りを犯している。すなわち印章を渡したのだから放棄したのだとの判断は余りに飛躍的推断である、それ放棄は法律行為であるから意思表示である、しかも単独による一方的意思表示である。それで民法第九百三十八条は放棄の意思表示は家庭裁判所に申述をせしめるものとし、家庭裁判所の審判事項とした(家審九条一項甲類二九参照)従つてこの方式を欠く放棄は無効である。(大民昭和一三、四、一五判決)ところが上告人名義を以て為した放棄は(甲第三号証ノ一ノ二)被上告人が訴外の代書人小○○八○に依頼して作成したもので上告人は右小○○に会つたこともない未知の者で頼んだことはない。さすれば原審認定の如く被上告人が上告人に依頼されて右小○○に相続放棄の申述の手続をしたとせば上告人が被上告人に右手続を依頼した委任状がなければならない、そして放棄の意思表示たる表示行為を明確すべきである、このことは家事審判規則第百十四条に明かに規定している、しかるに本件の放棄申述書には右規則に定めた要件を具備していない、また該規則では申述者が署名捺印することの定めがある、しかるに上告人の署名捺印がない、ここに署名捺印とは記名捺印ではなく所謂自署のことである。言うまでもなく放棄は要式行為であるからその要式を欠いた本件放棄は無効であること言を俣たない。

相続放棄申述書は処分証書であるから署名が本人のものでなければ証書の真正は認められない、すなわち本人の自筆でなければ署名とは解されない。

(二) また相続の放棄は申述の受理と言う審判によつて成立する。家庭裁判所は放棄が果して真意に出たものか否やを判定するために本人の出頭を求めて審訊するのが普通である。しかるに本件放棄申述について宇都宮家庭裁判所は上告人の審訊をしていない、これは裁判所の手落と言つてよい、この裁判所の手落のため上告人が放棄と認定され、その不利益を上告人に帰せしむることは承服できない、それ故に本件訴訟を提起したのだから第一、二審共十分に審理を尽すべきである。従つて原審はモツト上告人の言分は勿論上告人の証人の証言を重視すべきである。ここに採訟上の原則の誤りがある。証拠の採取に当つては弁論の全趣旨及び証拠調べの結果を斟酌しての自由心証である(民訴第一八五条)すなわち弁論全趣旨及び証拠調べに於いて前記の家事審判規則に違反していることや本人の審訊していないことに対し毫も判断に加味していないのである。若し審訊せば立ちどころに放棄の真偽が判明したのである。(宇都宮家庭裁判所ではこの事件以来すべて審訊している)

(三) また上告人は父正治が昭和二十三年○○月○○日死亡したが新憲法や改正相続法によつて共同相続の権利があることを知らなかつた。従つて権利のあることを知らないものがどうして放棄をすることがあろうかと云う事実に対して原審は吟味(審理判断)を欠いていると言う大きな審理不尽が存在する。言うまでもなく新憲法が施行されたのは昭和二十二年五月三日であり改正相続法が制定されたのは昭和二十二年二月二十二日で、施行されたのは昭和二十三年一月一日からである。家事審判法が制定されたのは昭和二十二年十二月六日で、施行されたのが昭和二十三年一月一日である、家事審判規則が施行されたのは昭和二十三年一月一日からである、して見れば一般国民が共同相続権のあることを知るに至るには相当の期間を要することは言を俣たない、そのことは上告人も改正相続法の改正について無関心であつたから、父正治の死亡によつて自己にその相続権のあることに気がつかなかつたのは当然である、ことに上告人は婦人である。従つて上告人自己に相続権のあることを知つたのは第一、二審で述べている如く昭和二十五年九月頃訴外の池田正一(第一審証人)から聞かされて初めて知つたのである。従つてそれ以前である昭和二十四年○月○○日上告人名義で宇都宮家庭裁判所に申述した相続放棄は上告人の関知し得ざることは余りに明瞭である、すなわち上告人には意思表示の要件としての効果意思の認識がない、しかるに原審はこの重要なる池田正一及び上告人等の証言を無視した認定は自由心証主義の範囲を逸脱した公正な判断ではない、また誤認も甚だしき事実誤認である、だから原審の認定の理由は全く辻褄が合わない。

(四) 上告人が印鑑を貸したことは毫も相続の放棄の意思表示と見ることはできない、上告人が印鑑を昭和二十四年春頃母のタツから、税務署に出すのに入用だから益田の印を貸して呉れと言われたので、上告人は母のことであるので、何のために使用するかとも問わずに、言うが儘に貸したことは事実である。原審はこの一事を取つてもつて印を貸したのだから相続の放棄の意思表示ありと認定した、これは大きな事実誤認である、実印でも貸したなら格別であろうが、そこで被上告人が直接印を貸して呉れろと言わずして母タツを使つたのは何故か、この点につき原審は審理しない、それは当時亡父正治存命中から、上告人とその夫益田明と被上告人とは犬猿の間柄であつたから、被上告人は直接上告人に印を貸してくれと言つても到底貸して貰える見込のないことは百も承知していたからである、それで母タツを利用したものである、この事情は事実の認定には看過してはならない重点である、しかるに原審はこの点を看過した。この原審の認定は、この印を貸した一事を以て相続の拠棄ありとし意思表示の要件たる表示行為ありとの認定は甚だしき誤認である。原審の認定は全く綜合的に事物の観察判断を為さずしてささいな外形の小事をとらいると言う微生物的観察であつて所謂木を見て森を見ざるの類で実体を見失つた非顕現的判断で誤つた物の見方である。

(五) 被上告人は父正治が死亡して間もなく家族会議を開いて兄弟は全部相続放棄したと主張しているがこれは偽りである。真にかかる相談があつたとしたらそのことを書類に認めて置くとか隣人の立会を求めて明確にして置くべきである。そしてその時上告人が若し放棄したとせば戸籍謄本(甲第三号証ノ五)などは上告人の夫益田明に於いて本籍地役場から交付を受けて被上告人に渡すべきである。しかるに右の戸籍謄本は被上告人が上告人に秘密に取寄せたものである、この点につき原審は被上告人に対し釈明も求めず審理もしない。ここにも審理不尽が存在する。

(六) 上告人が相続の放棄をしたものでないことは、昭和二十五年○月○○日被上告人池田吾一が上告人の夫益田明を相手方として宇都宮簡易裁判所に対し借地借家調停の申立(甲第七号証)をした。この調停は上告人が父正治生存中、正治の勧めにより居住し来つた家屋であつて正治の隠居家屋である、現在も居住している(被上告人は明渡の請求訴訟を提起したが上告人が勝訴した。控訴しないから確定した)右調停申立には被上告人が相続によつて所有権を取得したと言うことは一言も明記してない、これは上告人が相続の放棄をしていないから若しそのことを記載すれば上告人に秘して相続放棄したことが上告人に気付かれる虞れがあるので故らに右調停申立書に、相続によつて土地家屋の所有権を取得したことを記載しなかつたものである(甲第七号証の立証趣旨参照)しかるに原審はこの点につき何等の審理もしない。これも審理不尽である。

(七) さらに上告人が相続の放棄をしたものでないことは、被上告人は相続権放棄期間延長許可申請(甲第二号証ノ二)に故らに上告人は那須郡○○村大字○○○○○番地に居住している如く虚偽の住所を記載したことである。上告人は○○村長の証明の如く○○村に居住したことはない(甲第八号証)しからば何故被上告人は上告人の住居を偽つて書いたかと言うに、それは虚偽の相続放棄が発見されることを虞れたからである、つまり審訊のため若し裁判所から上告人に対し出頭の通知を受けたる場合は直ちに発覚されることを予防するためである。実際の住所は△△村であるから裁判所から半里であるが○○村を住所とせば二十里以上あるから遠方故審訊しないだろうと言う計画的考慮の上為したものである。原審で被上告人は「本籍地が○○村なる故単に書いたまでである」旨弁明したが決してそんな理由でないことは前記の事情を吟味すれば、けだし右弁明の如きものではないことは明かである、ここにも事実の誤認がある。しかるに原判決は本証を以てしては未だ右判定を左右するに足りないと判示した。

(八) また相続の放棄は法律行為であるからその意思表示及び表示行為は明確なることを要する。従つてその意思表示の動機又は縁由について認定を加えるの要がある。被上告人は、上告人は相続の放棄をしたと主張しているが、その主張には放棄するについての動機又は縁由についても毫も主張がない。元来上告人は貧乏しているので財産(土地家屋)の所有は全くない、ことに上告人は嫁になる当時は戦時中であつたから所謂嫁入の仕度も父正治から貰つていない、ことに当時父は病気中(永らく病床にあつた)であつたためであつた。さらに父正治が上告人夫婦を屋敷内に居住させ面倒を見た、そのことから上告人と被上告人とはすべて打合が悪かつた。従つて相続を放棄するようなことは到底あり得ないのである。しかるにこの重大な、すなわち放棄するが如き事情があつたか無かつたかの点につき何等審理判断を加えていないと言う審理不尽がある。因に放棄した他の兄弟は嫁に行くとき相当な仕度を貰いまた嫁入り先は相当の財産家であるから放棄しても困ることはないが上告人は兄弟中最も生活に困つている者で住む家屋もなく僅かに味噌醤油の小売行商によつて生活している実情である。

(九) 上告人は原審に於いて昭和二十七年七月十二日付準備書面を以て次の主張をした。しかるに原審はこの点につき判決に於いて何等の判示なくまた被上告人に対し右主張の矛盾一致につき釈明答弁を求めない、ここにも審理不尽がある。一、甲第二号証ノ一、二(相続放棄期間伸長申請)は控訴人の意思に基かない偽造のものである(益田ヨシの名下の印章は三文判である)(相続放棄申述書(甲第三号証ノ二)とは印章が異つている)から無効である、従つて相続の放棄も無効である。二、また甲第二号証ノ二(相続権放棄期間延長許可申請)によれば益田ヨシ(控訴人)は昭和二十四年一月十日相続権あることを知り且つ相続の開始ありたることを同時に知りたるも相続する意思なく云々とあり、そして甲第三号証ノ二(相続放棄申述書)によれば申述人益田ヨシは被相続人池田正治が昭和二十三年○月○○日死亡したので申述人は同日相続の開始あつたことを知つたが相続する意思がないから其の相続権を放棄致しますとあり、前者では昭和二十四年一月十日相続権あることを知り且つ相続の開始ありたることを同時に知りたるも、とあり後者では昭和二十三年○○月○○日死亡したので申述人は同日相続の開始あつたことを知つた云々とあり相続開始の時期につき符合しない、これによるも本件相続の放棄申請は偽造なること明かである。三、また被控訴人は正治死亡した後昭和二十三年○○月中被控訴人方で兄弟や母が集まつて相続を放棄する相談をしたと被控訴人は主張しているが、それなら甲第二号証ノ二(相続権放棄期間延長許可申請)に益田ヨシのみ昭和二十四年一月十日相続権あることを知り且つ相続の開始ありたることを同時に知り云々と記載したるや、この点被控訴人の主張は全く一致を欠く、これすなわちすべて不実(放棄せざるものを偽造した)の捏造だからである。

要するに以上(一)乃至(九)の事項に対する原審の認定は論理的に裏付けられたものではなく従つて判決理由中で、どれだけの資料からどうしてその事実について確信を得るに至つたかの経路を常識のある者が納得できる程度に示されていない、従つて適法に確定した事実とは言えない(民訴四〇三)ここに上告審のコントロールを受けることとなる。

第二点

原判決は憲法第十四条第一項の解釈を誤つた違法がある。

すなわち本条は厳格に解すべきであるから相続の放棄の如き権利の放棄については本条の趣旨に照し真に本人の意思によつての放棄なるや否を明確にすべきである。すなわち放棄は法律行為であるから、その要件である意思表示が具備しているか、さらに表示行為が具備しているが、またさらに表示行為は目的意思が確認されたか否やを判定すべきである、それ故本人を審訊するのが原則となつている。しかるに本件の放棄の申述については審訊の手続をしなかつたのだから一層厳格にすべての証拠について厳密なる吟味を加え、形式的一片の判定を以て処理すべきではない、ことに上告人、証人益田明の証言を共に措信し難くとして全面的に排斥したがこれでは何んの証拠を採用するかの問題にならない、これでは人事訴訟などは裁判の対象にならない。本人や証人の証言が措信できないなら何故進んで他の証拠の探求に努めなかつたか、ことに本件は人事訴訟であるから、すなわち職権を以て証人の訊問、例へば池田タツの出張訊問を為すが如く(上告人の申請では該証人は出頭しない、これは被上告人が妨害して出頭させないからこのことは原審の疏明で明かである)審理の完全を尽すべきである。要するに憲法第十四条第一項の立法の趣旨並に解釈の誤りを犯している。以上

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